無駄の読書感想文

自分のためにまたはこれから読もうかなと思っているかたの参考になればと思い拙い感想文ですが書いています。読むペースは遅いので更新もゆっくりです。

正法眼蔵 すべての仏のいのち  酒井 得元著

1冊目

正法眼蔵 すべての仏のいのち
酒井 得元著

 

正法眼蔵 すべての仏のいのち 酒井 得元著

正法眼蔵 すべての仏のいのち 酒井 得元著

正法眼蔵を読みたい完読したいと思っている方は多くいらっしゃると思います。
私もその中の一人です。

実際に正法眼蔵を読み始めた時の感想は
まったくわからない!!!
けどなにか大切なことが書いてあるのではないか?
ここまでいろんな人を惹きつける魅力はどこにあるのか?
わからなけど読みたい

そんなわけでわからないので解説をしてくれる本から読み始めることにしました。
因みにいろんな本にはわからなくても解説ではなく正法眼蔵をそのまま読めと
あるのですが私はそうそうに断念しました。

さて本物の僧侶の酒井さん書いた「すべての仏のいのち」仏の巻を
読みました。

やはり私のようなものにはこちらもなかなか難しかったです。

ただ解説のなかの言葉などわかりにくい専門用語などには
巻末にしっかりと解説の解説が書いてありますので
とても親切な本だと感じました。

じっくりこの1冊に取り組むのならとても良い本です。

では読んで仏性というのが理解できたのかと
いいますと3割くらいはわかったかなという感想です。

じっくり取り組んで何回か読み直すなら
きっと理解できるのかなという期待はあります。

とても特徴的に感じたのはやはり仏教学者が書く
正法眼法の解説とは全然違うということです。
修行している方が提唱してくれるとこんなにも見方がかわるのかと
感動しました。

仏教学者と修行している人では全然違います。
これはどちらが良いとか悪いとかではなく
どちらも私は良いとこがあると思っています。

ただ見方が違うだけで人それぞれの仏法ということなのだろうな
と思っています。

本の中では学者や他宗門の批判などがあるので
すこし引いてしまう部分もあるのですが
得ることもたくさんありました。

良いなとおもった文章だけピックアップしてみました。

・只管打坐 自分の満足を一切追求しない。自分のことは一切しない

・「本来の有にあらず、亘古亘今のゆえに」本有といいますと
本来の有。なにかそういうものがあるような気がする。
そんなものではない。亘古亘今は古に亘り今に亘る。言うならば古今を超越している
悉有ということに昔も今もな。昔だ未だというのは、人間の言っていること。
大自然はそんな事関係ない。平気な顔をしている

・何かする時は必ず成果が得られる。ということで行為をする。
収穫がないと承知しない。学問にしても、結論という
「やったらやっただけのこと」がなければいけない。得たい。自分を慰めてくれる
お駄賃がほしい。
こののお駄賃がとうとう仏性になった。
「なるほどこれでうまく解釈ができる。仏性というのは種子だな。」
とこう決め込んでしまう。
その発想は凡夫的発想。普通の人間の発想法だ。

・我々はなんでもものが見えると思っている。
本当はものはみえていないんです。
我々が錯覚を起こして本当にものがそこにあって見ていると思っている。
実は我々はそのものと一体になっているんですよ。
だから所見なし(見るところなし)

・人間っていうものは紫波区がいつの間にやら本物になってしまうんです。

・死ぬとか生きるとか言って大騒ぎをしているのはどこで大騒ぎしているのか。
昼間だけです。死にたくないと騒いでいる、自殺したいと大騒ぎしている。
やっぱりくたびれたらしく、眠っていますよ。我々の生死の問題は昼間の
自我の世界だけ。本来の姿には生死の問題はありません。
これを解脱という

・体全体には生死という問題はありません。
生死を問題にしてやっさもっさやっているのは自我の世界です。
誰でも自分の生まれてことはしらないでしょう。
死ぬことも知らない。人の葬式は見ても、自分で死んだ経験のあるものは以内。
死んだ自分もああなるんだな。想像をしているだけです。考えた死を行っているだけです。
生まれるとか死ぬとかいうのは頭の中の問題だ。
だから生死は実は問題となっておりません。

 

正法眼蔵 すべての仏のいのち」酒井 得元著 大法輪閣 より抜粋

 

この本を読んですこし正法眼蔵が読めた気にはなりました。
まだまだ他の人の解説も読んでみたい
理解したいと思うのですが道はまだまだ長いなと
感じました。

とても良い本です。
ぜひおすすめです。

 

無駄