無駄の読書感想文

自分のためにまたはこれから読もうかなと思っているかたの参考になればと思い拙い感想文ですが書いています。読むペースは遅いので更新もゆっくりです。

華厳経典入門  清水公照 3冊目

3冊目 

華厳経典入門
清水公照

 

大乗仏典を少しずつ読みすすめています。
般若心経、難しいけどなんとなくわかるようなすごいような
感じがする。維摩経は痛快なストーリーで読んでいてどんどん
読み進められる。
華厳教は善財童子の旅の話はよくわかるが
それ以外がほとんどよくわからないし頭に入ってこない・・・・・

これはやはり解説本が必要だと検索してまず
清水公照さんの華厳教入門を読んでみました。

なかなか なかなか
入門といえども難しい・・・・
というか華厳経典の中身の解説というわけではなく
なぜ華厳経典ができたのかのストーリー
また和尚の法話が書いてある本です。

なんとなく華厳経典をある程度理解している人が
読むと面白いのかもしれませんが
まったく華厳経典がわからない場合は他の本から
読み始めたほうがよさそうです。

しかし法話はとても面白く読めましたので
一読の価値はありますし
華厳経典をある程度理解してから
もう一度読み返したいなと思える本です。

メモの代わりに

色は形あり、臭いあるものがすべてを指し、物質と呼ばれるものであります。
受は受け入れるという語でその色を私たちの内で受け入れる力用を指し、感覚作用というのです。
想とは心の表面に相を映す作用で表象作用を指しているのです。
行は心に受け入れる受動的な作用だけでなく、内から迎え入れる能動的な作用がある、
外へ出ていく作用であって意欲をさします。
識は外かた内へ、内から外へと交錯する作用が判断を生み、結論を見いだし、意識することで
終結を見いだすのです。
こうして世界の分類は終結をつげるというのです。
私たちは五蘊の注釈をこまごまと教えられることで仏教への知識を深めるのだと聞かされて
いるのですが、実はそうではなく、分析し続けていくところに何を見出すかが問題なのです。
個々はすべて姿を没し去りただ動いてやまぬ結びつきの理のみがいつもその奥底にながれている
ということで、そこが仏教の狙いなのです。

華厳経典入門
清水公照著より引用


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